2016年、長女が2歳半のときに川崎病になり入院しました。
娘は不全型と呼ばれるもので、典型的な症状はあまりなく、おそらく川崎病だろうという診断がおりました。
その後治療の結果、大きな後遺症もなく元気になりましたが小学校入学前まで定期的な検査に通うことになります。
そんな娘の闘病生活を自分も忘れないようにその時のメモを見ながら振り返ってみたいと思います。
1. 川崎病とは
主要症状は以下の6つである。
1. 5日以上続く原因不明の発熱(ただし治療により5日未満で解熱した場合も含む)
2. 両側眼球結膜の充血
3. 四肢の末端が赤くなり堅く腫れる(手足の硬性浮腫、膜様落屑)
4. 皮膚の不定型発疹
5. 口唇が赤く爛れる、いちご舌、口腔咽頭粘膜のびまん性発赤
6. 有痛性の非化膿性頸部リンパ節腫脹
以上6つの主要症状のうち5つ以上を満たすものを本症と診断する。
〈wikipediaより〉
川崎病とは「小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群」とも呼ばれ全身の血管の炎症を起こす病気です。
これらを満たすと川崎病と診断されますが、最近はこれらの症状が満たない非典型型も多いようです。
我が家の長女もまさにこれで不全型川崎病と診断されました。
2. 闘病記録
2/27(土)発熱1日目
この日は土曜日でしたが私が仕事だったため、保育園に土曜保育をお願いして仕事に行きました。
朝は特に変わった様子もなかったと思いますが、11時ごろに職場に保育園から電話があり熱が38℃ありぐったりしていると連絡がありました。急いで仕事を早退して迎えに行き、その足で近所の小児科へ。
まだ熱が出たばっかりなのでインフルエンザの検査はできず、とりあえず解熱剤の座薬と抗生物質をもらって帰宅、家ですぐ座薬を刺しました。座薬の効果で熱も下がり機嫌もよく安心しきっていました。
2/28(日)~2/29(月)発熱2日目~3日目
座薬を刺すと熱は下がるものの、効果が切れるとまた40℃近く熱がでて機嫌も悪くなり、また座薬を刺すといったことが続きました。
月曜日にまた小児科へ行きインフルエンザの検査をするも陰性。座薬をたくさんもらって様子を見て、また明日来てくださいとのことで帰りました。
3/1(火)発熱4日目
熱も全然下がらず。何本座薬を刺したかって感じでした。
ただこの日から少し目が充血まではいかないけど少し赤いかな?と思い始めました。
また小児科へ行ってこのことを言うと、何かの病気ならもっと赤くなる!と鼻で笑われたように言われ、熱も下がらないので抗生剤を変えてみようか、ということになり違う抗生剤を処方されました。
このときくらいからこの小児科の先生へ不信感を抱くように。
ネットで『発熱・目が赤い』と検索すると「川崎病」がヒットしこういった病気があることを知り、でもそれ以外の症状には当てはまらないので違うだろうと思いました。
3/2(水)発熱5日目 入院1日目
抗生剤を変えても熱は下がらず・・・。ダンナとも相談し、総合病院へ行ってみようということに。
本当は総合病院へ行く場合は紹介状があったほうがいいのでしょうが、近所の小児科へ行く時間ももったいないと思い、すぐ総合病院へ行きました。
これまでの経緯を話し、アデノウイルスやRSウイルスの検査をするも陰性でした。血液検査もするため娘は処置室へ行き私は廊下で待つことに。泣き声が聞こえてきてこっちも泣きそうに。
検査が終わり娘は泣きはらした顔で処置室から出てきました。検査に時間がかかるということで待つことに。
10時ごろに受診したのですがいろいろ検査もして血液検査の結果が出ました!と言われたのが12時ごろ。
先生が検査結果の紙を見せてくれ、「CRPが8.0と高いです。これは即入院レベルなので入院してください」と言われました。
CRPとは炎症反応のことで、通常0.3未満とのこと。風邪でも1.0くらいとのことで相当高いレベルなのが分かります。
入院説明などを受けて病棟へ案内されるまでの時間にダンナに電話し、いろいろ言われたことを説明していると涙が出てきました。ダンナもすぐ仕事を切り上げて来てくれるとのこと。
そして病棟へ案内され、娘は入院着へお着替え。ダンナとも合流。
午後からもレントゲンを撮ったりしましたが肺はキレイとのことでした。
とりあえず抗生剤の点滴をして様子を見ましょうということで21:00に抗生剤の点滴が開始されました。子供が小さいので付き添いが必要とのことでこの日から私が娘の終わりの見えない入院に付き添うことに。
この日までは毎朝上司に休みますと連絡してましたが、入院ということで来週いっぱいまで多分会社へ行けないので休ませてほしいとお願いしました。今までは毎朝連絡するたびにグチグチ言われてましたが、入院となるとさすがにそんなことはなく。ちょうど年度末でなんとか有休を来年度に持ち越せたなあと安心してたのですが、これで有休がゼロ、むしろマイナスで欠勤になる可能性が高まってショックでした。
この時私は2人目妊娠中。7ヶ月くらいだったのかな?付き添いにあたっていろいろ心配もされましたが特に問題もなく順調な妊婦だったので、むしろ仕事をしているより安静にできました。
→長くなったので②へ続きます。
[…] 2016年に長女が不全型川崎病と診断・治療したときの記録です。 ①はこちら […]
[…] 2016年に長女が不全型川崎病と診断・治療したときの記録です。 ①、②の続きです。 […]
[…] ちびこの兼業ママ・ライフ 長女の川崎病を振り返る・闘病記録①h… […]
[…] 川崎病とはなんぞや、という方は過去の記事を見てください。 ↓ ちびこの兼業ママ・ライフ長女の川崎病を振り返る・闘病記録①http://… 第一子のお姉ちゃん、長女も川崎病で治療歴があります。 […]
[…] 姉弟そろって2歳で川崎病になりました。 長女の闘病記録はこちら↓ ちびこの兼業ママ・ライフ長女の川崎病を振り返る・闘病記録①http://… […]